生涯で入った,ちょうど1万軒目の飲み屋で,運命的な恋が待っているかもしれないし,婚姻届を持って行ったその日に市役所の窓口に運命の人が座っているかもしれない.懺悔した牧師が話の分かる奴かもしれないし,競艇場の予想屋の中に救世主か聖人が紛れ込んでいて,世界はもうちょっと早くどうにかすれば,どうにかなったのかもしれない.
ただもうそんなことはどうでもよくて,何故かというと,運命などを考えているうちに人生は終わってしまうし,俺が今興味があるのは鰐のことなんだ.
なぜかというと,鰐はどの角度から見てもかっこいいし,特に顎がいい.グラビアで見ても,女だからいいという煩悩も働かないし,泥地にいるのがいい.鰐の雌雄がたちどころに分からないというのは,きっと俺が爬虫類学者じゃないからだ.よけいなことに首をつっこむのはやめよう.
よけいなことに首をつっこんでよかったことは,あまりない.分類学とか,自然を守れとか,政治が悪いとか,飯がまずいとか,言い出すと人生は大変なことになる.清く正しい個人的なテロリストでいれば,人生はのんびりと幸せに過ぎていく.
それにしても,恋をしなくちゃ.
恋をしないと,陸亀のように長生きしすぎて,煙草を吸っても吸っても寿命が延びすぎて燻製のようになってしまうかもしれない.聖者になってしまって,尊敬を一身に集め,ジャンケンで負けるのも許されないかもしれない.ジャンケンで負けて殺されるのは,ベトナムやイラクでの戦争だけで充分だ.
俺は絶望を語ってるわけじゃない.そんなものは政治家と小説家にまかせておけばいい.小説の本質は絶望だが,俺は小節の話をしてるんだ.つまり,鼻唄を歌うということさ.
恋をしなくちゃと思って,外へ出るよな.飲み屋に行くと,だいたい椅子が飛んで来るか,カウンターで眠るはめになる.「子猫ちゃん,,,」とつぶやいて涙を流しながら眠ると,朝の5時半に起こされて勘定を払わされる.あんなにさんざん飲んだのに,金まで払えという訳だ.
「俺は負けないよ.戦争は終わっていないんだ」
ズボンを摺り上げる.
「2600円」
「戦争は終わっていないんだ,神は見てる」
「2600円」
「もっと大事なことが,君を待ってる」
「2700円」
「神が私たちを地上に御遣わしになった昔から,飲み屋の勘定は2500円と定められている.チンギス・ハーンもナポレオンも2500円払って,次の店に行ったんだ」
「じゃあ,2500円」
「悪夢だ.資本論を読んだことがあるかい.俺たちは神と金のために働いてるわけじゃない.負債を支払うために酒を飲んでるわけじゃないんだ.心を癒すために,一杯の酒がある.この世に生まれて来たのは,個人的幸福と利潤の追求のためだ.飲み屋の主と言えど,それを妨げることはできない」
「出て行けっ!!」
それで俺はその退屈な飲み屋から解放されて,資本主義的な支払いという悪夢から解放され,朝の骸骨のような街を歩いてる.落ちて転がっている首が笑っていて,街路樹が腐った匂いを放っていて,タクシー運転手が世界の美しさに見とれている時間だ.
俺は恋をしなくちゃいけないから,財布を取り出して,金の鼓動を数えて,また歩き出す.ろくでもないとこに行って,ろくでもないことをしなくちゃ.もしくは,可愛らしいところに行って,ロマンスをつかむんだ.
「俺は死ぬまで,この小節を書き殴ってやる」
と奴は言うかもしれない.アラビアで,そのまたどっかで小説は不足していて,重要な輸入品目になっている.
「俺たちが木を切り始めたのは,そんな昔のことじゃない」
とエスキモーのチーフが言う.
これは古生物学的には正しい意見だ.しかし,人間が生物であることを(最低でも古生物であることを),いつになったら証明することができるのだろうか.人間が生物であることに,キリスト教や多くの宗教,ダーウィンや多くの生物学者が,もう少し早く同意していたなら,この21世紀はもう少しましなものになっていただろう.
誰が? 誰が?
俺たちを生物扱いしただろうか.
アメリカで,ベトナムで,イラクで,
この国で!
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