さて,友人の車の中ではミクリガイが腐り続けており,「まだ,腐り方が甘いので,もう少し熟成させて,肉抜きします」「車内は素晴らしい香りです.今は女性など決して乗せることはできません.草々」と云う手紙が来た.ミクリガイを車から出さず,敢えて高温多湿な車の中で,腐敗を進めんとする貝屋の心意気に強く打たれた.
私は「今こそ,車に女性を誘ひて,貝屋の伴侶としての敵性を試す好機到来と思ふべし.先ず100%の確率で,さよならが待つべしと思えども,恙無き也.敬具」と,返信の葉書を書き送った.
貝屋と云うものは,生きた貝,死んだ貝,腐りかけた貝,完全に腐った貝,液状になった貝,ミイラ化した貝などを家庭に持ち込む忍者のことである.貝屋が,異臭や蛆や寄生虫を家庭に持ち込むことについては,万国万世の科学の進歩に貢献するものとして,家人は溜飲を下げ耐え忍び,大いなる寛容の眼差しをもって,それを日常としなければならない.そして腐ってるのが貝で本当によかった,腐った狸を片手にぶら下げて御機嫌で帰って来るような哺乳類学者の家族ではなくて本当によかったわ,神様ありがとうと幸せを噛みしめるべきなのである.
車が臭い,靴下が臭い,体が本当に臭い,などという瑣末な現象については,堂々としていさえすれば,「ああこの人は,なりふりかまわず,男を貫いている素敵な人なんだわ」と思って,惚れてくれる女性がいるかもしれないし,いないかもしれないし,いないかもしれない.しかしまず,「ハニー,君の台所と冷蔵庫は,俺の貝で臭くなるよ.それでも,愛してくれるかい?」と予告しておくことは,Homo sapienceの円満な結婚生活や生殖活動において重要な問題であるように思われる.結婚後に冷蔵庫から,靴下を口にくわえたボラが出て来て「悲しみよ,こんにちは」と告白されたら,多くの人は深い絶望に包まれるでことであろう.
このように,体や冷蔵庫や車がとてつもなく臭いような「なりふりかまわず,男の人生を貫いている人」について,昔はバンカラという素晴らしい形容詞があった.Wikipediaによれ「バンカラは,弊衣破帽と称される損傷した衣服を纏う事により,己の外見を飾ること以外の何事かにより熱心であること,を表現しようとする若年服飾文化,およびその源泉となっている気質」のことであるとされている.それは,ハイカラのアンチテーゼであり,「単に外見の容姿のみに留まらず,同時に内面の精神的なものも含めた行動様式全般」なのである.
つまり,臭いとか汚いとかいうのは「男の生き様の美」であり,しかもそれは「内面的・精神的・肉体的な深い美」であることを支持する.そのためバンカリズムにおいては,臭くなく汚くない男は,表面的であり,精神的浅薄さを示す「つまらない奴」であると結論づけられる.
本邦の貝屋の世界では,便所サンダルを履いていることが,一流の貝類学者のステイタスとして認められている.それは,臭いことの価値を知り,虚飾を排除しようとする貝屋の優れたポピュラリズムの顕現である.
投稿者: 由
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