2022年6月4日土曜日

「東海道中浜栗毛 ~江ノ島之巻~」2007/4/30

さてさて,桜も終わって,今日は何を肴に飲もうかいと思案する.そろそろ潮風もいい塩梅だろうと,東海道は藤沢宿,江ノ島詣に出かけたと思いなせえ.江島神社の参道を,辺津宮の田寸津比賣命,中津宮の市寸島比賣命,奥津宮の多紀理比賣命の三女神の江島大神,妙音弁才天の妙なる声に誘われて,そぞろ歩きは白雲の,知らざあ云って聞かせやしょう,弁天小僧の名にしおう稚児ヶ淵の下りには,江戸の昔の面影の茶屋.

さて,ここらでいっぺえ飲んめえ.

「ヤキハマをくんな」

久方ぶりに訪れた江ノ島で,昔を懐かしんで「焼き蛤」を注文する.近頃は蛤も,国産だの輸入物だのと,世間じゃ五月蠅い奴等も多いが,なんと云っても近頃の江ノ島名物の焼き蛤はシナハマグリ.ルソリアなんか,目じゃねえほど甘くてうめえんだから.

麦酒を二本空にしても,ヤキハマは来ねえ.なになに,せっかちな江戸子でも,ここが辛抱のし所よ.支那から舟でゆっくりと運んで来た唐蛤を,弁天様も「もう駄目よ」というまで炭火でじっくりとやってるんだ.やがて,殻口から汁が零れて,三千世界の美之主(Venus)の誕生がおがめるわけさ.あせっちゃなんねえ,竈馬.

「あい,お待ち~」

醤油の焦げた匂いに,皿の上には三番の蛤.

「これよ,これこれ」

割箸を歯で割るのももどかしく,湯気の立つ身を頬張る.

「ヴぇねりで~」

マルスダレガイ科の美味を讃える昔言葉が,思わず口をつく(Very never delicious=信じられないくらい,おいしいです).

「やっぱりね,ヤキハマはシナですよ,ペテキアリスが最高! この甘さがね,身が黄色くてね,歯ごたえがしこしこしてね,腹縁には顕著な刻列があり,殻は堅牢堅固で,丸く,膨らみが強い」

コトリと酔いが醒める音がして,頭の中を小人が大急ぎで走って来て,何か叫んでいる.蛤をひっくり返して表を見る.

「殻表には中央で弱まる不明瞭な輪肋が不規則に発達し,放射細条がある.殻皮は極めて薄い.殻色は灰白色で,模様を欠くことが多く,後背縁が茶色く彩色される個体もある.サテ,ワタシハダレデセウ?」

平和な江ノ島の昼下がり,海神の申し子である男が,うっすらと細目をあけて,目の前のホンビノスガイを見つめている.江戸を発つこと拾六日,品川宿,戸塚宿を過ぎ,江ノ島詣にて支那蛤を食すことを楽しみに,参道を登りつめ,ヤキハマを注文して待つこと三拾五分,蛤と思って食すこと五分,思い立ちて同定に二秒.江ノ島の海喰洞に棲む龍神が「俺を誰だと思ってるんだ!」と慟哭しているのが聞こえる.

「めるせ成り也,めるせ成り也」と経文を唱え,怒りを懲伏する.

本美之主介(ホンビノスガイ Mercenaria mercenaria)は当世,江戸湾で増殖しており,「白蛤」の名を冠し,皇国の食卓に供せられつつあるものである.

http://www.rakuten.co.jp/chibanojizakana/735270/769015/

美国(亜米利加)原産の移入種と云えども,皇国臣民の経済・食卓を潤すことに,一日の恩を感ず.

我が国の干潟・蛤世界の未来や如何に,春のひねもすの長日を歩く.


昔を云やあ 江ノ島で

年季勤めのお稚児さん

かすめて取った千両も

男とばれちゃしょうがねえ

鎌倉無宿 島育ち

おっと 女にしたい菊之助

(西沢爽・作詞,「弁天小僧」)


「白はまぐり」=ホンビノスガイの最新にして詳細な情報は,

http://marine1.bio.sci.toho-u.ac.jp/tokyobay/topics/mercenaria.html

を御参照下さい.

江ノ島で食べたホンビノスガイ(写真)は,東京湾三番瀬の個体群とは,殻の形状が異なっていた.冷凍で輸入されたものか,東京湾に複数の系統の「ホンビノスガイ」が移入されているのか? これで,890円なのは泣ける.


投稿者: 由

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