今年は「生物多様性年」であるが,生物多様性の重要性の中に「生物による予知能力」が付加される記念すべき年になるのではないか。
パウル君の予知能力に最も戦々恐々としているのは,欧米のブックメーカーであろう。試合結果を次々と的中させていくのだから,実に恐ろしい博徒である。博打の鉄則は「ついてる奴に乗れ」であるから,パウル君の予言に乗って,一財産を築いた人々も少なくないと言われている。ドイツでは既に「パウル君が,次にどちらの勝利を予想するか」についても賭けの対象になっているらしい。それに比べると,野球賭博などは,ごく初歩的で無邪気なものだ。日本でも,タコを使って,ロト6などで大儲けしようというムードが盛り上がっている。築地では,このところ,サッカーシャツを着た若者やヤクザ風の男たちが,生きたマダコを買い求めているというし,ペットショップでは水槽と人工海水の売り上げが過去最高に達しているのだ。
タコという生物において,食用以外の,予言や博打への活用という持続可能な利用方法が見出されたことは,頭足類全体の未来にとって,非常に明るいニュースである。
これまで何の躊躇も無く,ぶつ切りにされたり,小麦粉でくるまれたり,酢味噌であえられたりしてきたタコたちについて,人類は大きな価値観の変容を迫られている。すなわち,「蛸は,人間より神に近いのではないか」「食用にするより,予想屋として飼った方が儲かるのではないか」という哲学的な問題に,人類は直面しているのである。これまでタコに関しては「天麩羅と唐揚げでは,どちらが美味いか」「たこ焼きの具に最適な大きさは何センチ角か」「蛸が最も好む蛸壷の形状とは」などの議論しかなかったことを思えば,実に革命的な進歩である。こうしたことこそ,生物多様性への理解の深まりといえるだろう。
水中にいて陸上のことを,ドイツにいて南アフリカのことを予言する能力は,「蛸は,人間より神に近いのではないか」ということを証明するのに充分である。預言者こそ神の遣いであるという観点から「次のローマ法王にパウル君を」という声も,多くの非キリスト教国から漏れ聞こえている。
聖書において,蛸のような「鱗のない魚」を食べるのが禁じられていたのは,将来的に蛸族などの海洋生物の中から法王が生まれる可能性に配慮したものなのかも知れない。一方で「蛸は火星人なので,地球の法王の資格はない」という差別的な意見もないではないが。
また,蛸の預言者としての能力は「足の多さに由来するもので,サッカーに限られる」と主張する海洋物理学者もいる。しかし,蛸の足が「足なのか腕なのか」という問題は,生物学的にも哲学的にも解決されていない。蛸の足で攻撃された場合,人間は蹴飛ばされたのか殴られたのかも,よく分からないというのが現状であって,我々は未だに言語や宗教成立以前の社会に暮らしている.
投稿者: 由
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