和歌浦を詠んだ有名な短歌に,「若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに」(万葉集,詠人不知)がある.
この「忘れ貝」の実体を探ることは,今回の貝類観察会の大きな目標の一つであった.
現代,ワスレガイという和名で呼ばれる貝は,外洋浅海域に生息する貝であるので,湾奥干潟の和歌浦に生息しているとは考えにくい.
とりあえず二枚貝であることには間違いないであろうという合意の元に,我々はユリヤガイやタマノミドリガイ,ミドリシャミセンガイなども視野に入れつつ,「忘れ貝」の実体の調査に乗り出した.
私が先ず最初に,これこそ「忘れ貝」の正体ではないのか?と思ったのは,このウネナシトマヤガイである.この種は,やや潮下帯寄りに生息しているので,ちょうど「袖さへ濡れて」という深度に分布している.事実,私は袖を濡らしながら,「若の浦」でこの貝を採集した.袖さえ濡れるような場所,すなわち低潮帯から浅い潮下帯にかけて分布する種が,和歌浦の「忘れ貝」の正体であろう.科名がいまいち思い出せない点でも,ウネナシトマヤガイは「忘れ貝」としていい線をいっていると思う.
しかし「忘れ貝拾へど」という点で細分一致しない.ウネナシトマヤガイは転石の裏に,かなり強固に張り付いているので,「妹は忘らえなくに」というような感傷的なアマチュアが気軽に「拾える」貝ではないのだ.私は和歌浦で,この貝を採集するために,右手の爪がボロボロになった.
ど素人が気軽に拾える貝でないことから,ウネナシトマヤガイが「忘れ貝」でないということは,ほぼ明らかになった.貝類学はこうして,一歩一歩進んでいくのだが,この「忘れ貝」の正体が明らかになる日は,いつか来るのであろうか.
前ブログでのコメント
返信削除投稿者:PINKY2007/11/3 23:29
こんなに自然な物を見せつけられると、
私達は,ほんとに小さな自然の一部なんだって思うわ。