さて,「埋立免許を申請する方も,認可する方も,気が狂ってるとしか言いようがない」という場面には,もう人生で何度も出会って来た.私たちは彼らを「気が狂っている社会人」と思ってきたし,彼らは私たちを「貧乏人の負け犬」と思うことで,いい具合にバランスを取りながら生きてきた.
「気が狂っている」ことは全く悪いことではないが,こういう戦いが繰り返されることで,「首の上についているものは何か?」「その頭は飾りか?」という退化的議論が人類史上に再燃することを私は恐れている.
「首の上についているものは何か?」と聞かれたら,タレントは「顔です」と答えるだろう.ゴールキーパーは「ヘッドです」と答えるだろうし,私なら「あごひげです」と答えることによって,多くの面倒は回避できる.
「その頭は飾りか?」という問いに対しては,「飾りです」とモデルや漫才師の多くは胸を張って答えるだろう.
偉そうな説教に対しては,考えることなく(脳に頼ることなく),率直に切り返すのが適切な措置である.
しかし普通の人たちがうすうす気がついているように,「首の上についているものは何か?」「その頭は飾りか?」という問いは,「脳味噌はついているのか,動いているのか,考えているのか,元気デスカー!」ということを意味しているらしい.
ケンブリッジ大学の脳生理神智学研究チームは,「生きている人類には,ほぼ例外なく脳があり,元気かどうかは別として大体において動いているものの,脳が思考器官であるかどうかは確認できなかった」と最新の研究成果を発表した.また同研究チームは「脳における血流,神経,筋肉,皮などの活動は,身体の他の部分と特に変わったものではなく,思考器官であるという証拠は発見できなかった.脳の神経活動は,他の身体部位よりもあたかもネオンサインのように活発であるが,それが思考活動を証明するものではない」としている.さらに,「こうしたネオンサインのようなデザインはむしろ,脳が装飾器官であることを強く指示している」と結論付け,「人類における脳の肥大は,顔の形を調整するための装飾的な水増しに過ぎず,イルカの方がよっぽどましに脳を使いこなしている.けっ!(原文:Shit !!)」と,いささか行き過ぎた感のある過激な論議も成されている.
つまり「人類の脳は飾りである」という結論が科学的に導かれたのである.これは,人類の歴史的な愚考の繰り返しにおいて,たまらない朗報・福音ではないだろうか.
「馬鹿になれ」とアントニオ猪木が言ったように,脳が思考器官ではないと証明された今,脳を過剰に信頼することは,人類の肉体の全体性を損なうものであり非常に危険である.「子宮で考える」という古い諺もあるように,地球の未来はむしろ,子宮を中心に考えた方がいいのではないか.「子宮はたくさん,人類は皆兄弟」と昔から言うではないか.
ケンブリッジ大学の脳生理神智学研究チームはまた,「脳は思考器官ではないと考えられるが,日本語で言うところの広義の脳,すなわち脳味噌(Brain fermented soybean paste)には思考能力があるかもしれない.何故なら,味噌が思考することは食生理学の分野で既定の事実だからである」とし,「脳味噌の味噌にあたる部位を本研究では特定できなかったが,恐らく海馬に相当するであろう」としている.
もちろん,「脳味噌の味噌は,男性では海綿体じゃないのか」という意見もあり,オックスフォード大学では,その方面の研究が進められている.
投稿者: 由
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