曲崎のアンキアライン・プールは,辺境生物学者である私に深い感銘を与え,よせばいいのに進化についての洞察を,またも深めることになった.
「種」という集合体は,云わばある国の国民であって,様々な法律・社会的慣習・常識に縛られていると考えられる.「種」が有するユニオンの中では,常識が尊重され,非常識が排除される.
「種」が島などの辺境に隔離された場合,ユニオン政府の「我々は斯くあるべし」という束縛から隔離されることになる.隔離された辺境では,ユニオンの常識から外れた自由な振る舞い(非常識)が跋扈する傾向を持つことになる.
ある日,凡庸な形態と常識を持ったベッコウマイマイ科の一員である「種」が,海流や鳥によって,小笠原諸島に到着します.当初は「種」の法律・常識を守っていた「島流しの住人たち」ですが,やがて「政府もねーし,適当にやってもいいんじゃね,どうよ,みんな」と言い始める輩が出て来ます.
「それもそうだな」と娯楽の少ない単調な島暮らしに飽き飽きしていた住民たちは,旧政府の社会体制に対する不満もあって,様々に奇妙な行動を取り始めます.
自分の「個」の奥深くにあった,外部形態への夢を解き放ち,少しでもかっこよく,少しでも奇抜に,とにかく誰かに受けよう,異性にもてたいという,進化の大合唱が始まるのです.
「俺なんか,こ~んなだもんね~」
ヒラヘタエンザが,とんでもない格好を取りました.
「ありえね~!」
と爆笑の渦が起きます.
「んじゃ,どうだ!」
とマルクボエンザが,またとんでもない格好を取ります.
元々の地味な格好をした部族の殆どは,笑い転げて,腹が痛くて絶滅に瀕す有り様です.
笑いによる腹痛で多くの住民が死滅する一方で,少しでもかっこよく,少しでも奇抜に,とにかく誰かに受けよう,異性にもてたいという「進化の原則」に成功した住民は部族の確立に成功し,種族を形成していきます.
このように,進化の源泉は,「種」というユニオンへの反乱であり,それは辺境が保証する自由にあると云えるのではないでしょうか.
非常識の本質を「笑い(制度への反乱)」として捉えるならば,進化の本質は爆笑にあると言えるでしょう.
非常識や自分に理解できない事象を極力排除しようとする近代社会は,進化を拒否する社会と言えます.
投稿者: 由
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