さて,この数週間,収入が無くて,貧乏について考えていた.
子供に200円借りて,煙草を買ったりしながら,人間は何のために呼吸したり,働いたりしてるのかという,哲学者らが昔から考えてきた,例のどうでもいいようなアレを真剣に考えていた.
結論としては「人間はどうしても,金があっても無くても,隣人とか社会とか地球とかのために働かなくては気がすまない生物である」という当然の話になった.
Bob Dylanの"Gotta' save somebody"にあるように,人間は常に誰かや何かに奉仕することで生きている.
奉仕する必用が生じるということは,この世界が「完全であろうと,なかろうと」手助けを必用としているということなのだ.(例えば子供たちのことを考えても)
だから,この世界は不完全であるという帰納的な考え方には,私は賛成できない.
神の御業の完全さを普通に理解できないとこから,「不自然で義務的な」奉仕が始まっているからだ.
しかし,そんなことはどうでもいい.私は神ではなくて人であって,自分の不完全さも,他者の不完全さも許して,その完全な不完全さ,現実そのものを愛して生きようとする生物なのである.
「人間はどうしても,隣人とか社会とか地球とかのために働かなくては気がすまない生物である」ということを,生物学の一部で云われている「利他的であることが,個の利益に繋がる」というように解釈することにも賛同できない.
それでは,人間が絶望して自殺すること,個とエゴを自ら消滅させることを,どのようにしても最終的には説明できないような気がする.
私は,哲学や,神の愛について語ろうとは思わない.むしろ,そういうものは,我々の愛にとって,何の役にも立たないということを言いたいのだ.
笑ってごらん.
それだけが,人間にできることだ.
それにつけても,お金の欲しさよ.
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