佐渡山豊さんが関東にやってきて,25~27日,歌います.
佐渡山さんの歌を初めて聞いたのは,中学2年くらいの時かなあ.
ラジオから「どうちゅいむにぃ」(沖縄語で「独り言」)が流れてきて,その全く意味の分からないウチナーグチを聞いたとたんに,身体の奥から熱いものが込み上げてきた.それで,後々,自分の前世の一部は沖縄人だったと深く思うに至ったけれど,日本語の古い形がウチナーグチによく残っていることを思うと,原日本語的な感動だったのかもしれない.
「どうちゅいむにぃ」と加川良の「教訓」は,最もショックを受けた原体験的な歌だ.
それで,佐渡山さんの2枚目のアルバム「仁義」を買って,ますます好きになったんだけど,当時はラジオでも佐渡山さんのライブをよく聞いた.
姫島の同級生たちも,佐渡山さんが好きになって,新しいレコードが出るたびに買っていた.
島というのは,私たちを結びつけた一つの言語・思想に違いない.
それは私たちの美しさ・力強さ・プライドそのものだ.
島や田舎への差別というのは,当時の私にはとても強く意識されていた.私が通った本土の高校では集団進路指導という馬鹿げたものがあり,そこで校長は「勉強する気のない奴は,姫島に帰って漁師になれ」と言ったもんだ.今でも,教育者や議員なんて,そんな狂人ばかりだけどな.
私は高校の音楽室でのコンサートで,一曲目に三上寛の「夢は夜ひらく」を歌い,最後に「どうちゅいむにぃ」を歌い,国東フォーク村(当時はいろんなところにフォーク村があった!)の大きなコンサートがあって,「この世に住む家とてなく(Woody Guthrie/高田渡)」「朝日楼(Traditional/高田渡)」「海どろぼう(佐渡山豊)」を歌って大喝采を浴びて,すっかりフォークシンガーになっていた.まだ,Bob Dylanをあまり聞いていない頃だ.
時は流れて,一度歌うことをやめて沖縄に帰っていた佐渡山さんが復活して,高円寺の抱瓶に見に行って挨拶をした.それから,新宿のloft+1の佐渡山さんのライブの打ち上げで仁義を切った.
手前 生国は大和の西よ
そのまた西の浮世の果てよ
黒潮踊る歌の島
その名も高き姫島よ
姓は山下 名は由よ
お見かけ通りの若輩者よ
御見知りおかれ
恐惶万端
以後よろしゅう お頼申します
それで,次の日には仁義を切ったおかげで,水戸でのライブに連れて行ってもらって,歌わせてもらった.Manda-la 2でも,高田渡+佐渡山豊を見たなあ.あの酔っ払いのじいさんが「佐渡山! 帽子を取れ」と言ったのは本当にむかついたが,二人で歌った「十九の春」は本当に美しかった.
~日本がドイツに勝つならば 焼いた魚も泳ぎだす
それからまた時間がたって,コザで開かれた「トラトラトラ」に出かけていって,その時も客席で「兄貴~!」とか叫んでいたんだけど,隣にいた女の人が昔からの知り合いのように話しかけてきて,それが那良伊千鳥さんだった.西表に行くようになって,どうしても千鳥さんとは知り合いになってたと思うけど,この出会いはちょっと今週の自慢.
2年前に“Heart of Islander”というライブを藤沢でやったけど,今回も島の血を騒がせましょう.
~島で育てば 心は熱い
「どうちゅいむにぃ」が今も圧倒的な名曲として支持されているのは,琉球旋律を最も美しく昇華した歌の一つだからだろう.これは今もたくさん作られている「沖縄風」の歌にはない本当の独立した琉旋だ.「てぃんぐさの花」「十九の春」も佐渡山さんのギターで歌われたアレンジは際立っている.つまり,フォークソングというのは,歌が自分の血になるということだ.そうやって血を作って,私たちは生きている.
投稿者: you
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