大分県速見郡日出町に小深江(こぶかえ)という美しい入り江があった.緑に囲まれた小さい入り江で,潮が引くと入り江全体が干潟になった.この静かな入り江に半日いると,潮が引き潮が満ちてくる美しさに心を打たれた.
この干潟はこともあろうに,プレジャーボートの繋留桟橋を作るために,その半分が掘削されて削られた.別府湾で遊んだり,関サバや関アジを釣り上げていい気になってる奴らのために,この小さな静かな美しさは失われた.
大分県杵築市の八坂川の蛇行部も埋立てられて失われた.小深江や八坂川蛇行部の美しさや素晴らしさは,その場所に行って,一日をすごさないと分からないかもしれない.それは「大自然の美」ではなくて,もっと小さく静かで,誰かがどこかの日向にすわって時間を呼び止め,見つけて立ち去っていくようなあの美しさ.「実在する日常」の美しさだった.
それらの美は「小さい」ということだけでも,マスメディアや社会の狂気に鋭く対立するものだ.誰もが普遍性を求めたり,自分を社会に知らしめようとして,やってくる.最も大切なのは,誰にも理解されない自分であるというのに!
沖縄市の泡瀬干潟では海上工事が続いている.山口県の上関に原発を作ろうとしている奴がいる.そして,韓国のセマングム干拓だ.セマングムのことをまともに考えたら,気が狂うに違いない.
八坂川が埋立てられた時に思ったのは,やっぱり軍隊を持ってないと駄目だなということだった.泡瀬の工事が始まったら,木刀を持って乗り込もうと思っていたが,まだやれていない.セマングム干拓のことでは「もう,直接行動しかないと思う」とキム・キョンオンに言ったことがある.韓国は警察国家であり,そういう直接行動への警察暴力は半端ではない.「やろうと思えばできる.誰かが死ぬのが怖いと思うか? 俺の学生の頃には,反政府運動で毎日のように友人が死んでいた」とキム・キョンウオンは言った.そして「韓国は今でも戦時下にある国だ.徴兵もあって,例えば生物学を学ぶような若い時の貴重な時間も奪われる」と語った.
あるシンポジウムがあった夜中に,真っ暗なホテルのロビーに,山下弘文さんが独りで腰掛けていた.「腹がたって,眠られんことがあるよ」と弘文さんは言った.
これらの苛烈な怒りは,どこから来るのだろうか? その怒りは,自分の半身を削がれるような全く個人的な感情で,明らかに「自然保護」と呼ぶにはふさわしくないと言っておきたい.大分県佐伯市大入島の埋立が,強烈な直接行動によって阻止されているのは,住民がその海を自分の半身・家族として守ろうとしているからである.反対運動の気勢を挙げて,飲んで仲間と連帯し,それでも弘文さんがホテルのロビーで独りになろうと思うのは,諫早の海が語りかける声が聞こえてくるからなのだと思う.
怒りを言葉で表現しない方がいいと思うことがある.誰にもさわれない,目に見えないものを守ろうとしているのだから.
この怒りはどこから来て,どこへ行くのか?
投稿者: 由
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