7月12日,泡瀬の環境の激変に激怒したまま,小橋川さんの家を訪ねると,三線の音が響いていて,私の怒りは唐突にゆっくりと癒された.音・地球・人間・自然と向かい合うことについて,,,
「泡瀬干潟を守る連絡会」事務所にも,このように資料に埋もれるように三線がいて,弾かれるのを待っている.
手にとって楽(がく)と楽(らく)の世界へ入る.
「全ての武器を楽器へ」と言った喜納昌吉もコザ(沖縄市)の人間だ.武器=怒りであり,沖縄では今も怒りを安らげ,人々を楽へと救う弥勒(みるく)の心が日常の中に生きている.
楽(音楽)が生活の一部であるのは,日本では今や南西諸島だけだ.
「渚の松に吹く風を いみじき楽と我は聞く」
投稿者: 由
前ブログでのコメント
返信削除投稿者:山下由2006/7/26 19:15
ウチナーの人に「弾いてない三線があったら,下さい.いや,3ヶ月でもいいので貸して下さい」と言っても,たとえ4年に一度しか三線を弾かない人でも,決して三線をくれたり貸したりはしてくれません.
これはウチナー人がケチなのではなく(けっこうケチではあるんですが),三線を自分の生命・魂だと思ってるからなんですね.
だから,三線は「自分で買うか,作るしかない」のであるわけさあ.
そもそも楽器には「型」がなかったわけで,いい音を追求することにおいて,材料の上下・貴賎は本当はなかったわけさあ.
フォークギターでは,マホガニー,ハカランダ,ローズウッドなどの上質材料がありますが,それらの樹木が絶滅危惧種だったりする,現代社会だからよ.
ブランドではなく,「私」が本当に欲する音から,音楽を再生しましょうよ.と思います,であるわけさあ.なんでかねえ~ではなくて,まっじこでそう思うわけよ.
投稿者:遊んでいる地面2006/7/21 3:37
いまね、うちの学生で音楽好きなのがいてね、
カンカラサンシンを作ろうと言っているところ。
音を楽しむのに、高い楽器なんかなくてもいいはず。
http://ankei.jp