そして,和歌浦では観察会が続いており,肉眼では科も分からないよう貝を探したり,袖だに濡れて潮下帯の泥に篩をかけたり,カキの写真をしつこく撮りまくったりとか,様々なレベルの貝への狼藉が続いているのだった.
「これ,どうっすか」と友人が,これこそ「忘れ貝」の正体ではないかと示したのが,このScintilla sp.だった.そんな学名もはっきりしないような貝が「忘れ貝」とは到底思えないのだが,ペアや家族でいることの多いこの類を見て,万葉の人々は「貝拾へど妹は忘らえなくに(貝を採集していても,つい妻のことを思い出します)」と詠ったのかも知れない.
すなわち,「若の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾へど妹は忘らえなくに」の句は,「若の浦に袖さへ濡れて忘れ,貝拾へど妹は忘らえなくに」であって,「和歌浦で我を忘れて袖まで濡らして貝を採集していても,マメアゲマキやウロコガイ類などを見つけるとつい妻のことを思い出します」と解釈されるべきなのかも知れない.
もしくは「忘れ貝」というのは,貝を拾うことによって家庭・職場などの現実のことを忘却する様態を表現したものであって,ある程度,いい貝や珍しい貝であれば何でもよかったのかも知れない.
イオウノシタタリじゃん,と云う人もいるかも知れないが,あえてsp.で御願いします.
投稿者: 由
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