さて,共産主義が「私的所有の廃止によって階級のない社会を目指すこと」であるとすると,今日の露助やチャンコロは,共産主義者の風上にもおけない奴らである。彼らはまるで,領土拡大と資源の収奪に目覚めた15世紀の高校生のようだ。まあ今頃になって,資本主義を勉強しているのだから,しょうがないのかもしれない。しかしそういう歴史の欠陥を利用して,儲けようとしている奴らがたくさんいる。世界が進歩・進化しようとするたびに,ぶちこわして,暗黒社会を再来させようとしている奴ら。
沖縄に新しい基地が作れない,ジャップがいうことを聞かない。それではと,露助とチャンコロを使って揺さぶりをかける。9・11以来,ヤンキーやジュウの作るシナリオは田舎芝居のようで哀れを感じるが,奴らの商売は成功するかもしれない。なぜなら,世界にはまだまだ愛国主義者や差別主義者がたくさんいるからだ。神を作り出すのと,敵を作り出すのは全く同じことだ。国家・宗教・思想という檻さえ作っておけば,民衆は喜んで入っていく。考えるより楽だから。
肉体・頭脳・思考・言語,それらの能力,地理・自然・風土,美しいものであるべきそれらの多様性と差異の中に,優劣と差別を組み込んで,奴らは商売する。矛盾や対立を煽ることで,大儲けするのだ。
もちろん,神がいることを知らないから,奴らはそうやって勝利したと思い込んでいる。もしくは,自分たちを導いている神の名前を,よく眺めたことがないのだ,名刺の裏になんと書いてあるか。
「愛」が最後にふるう暴力は実に恐ろしい。
それを回避するために,黙示録は書かれている。
どのようなシナリオ・ライターがいようと恐れるに足りない.民主主義,あるいは,地球や生物そのものがいかに獰猛な野生であるかは,これからはっきりするだろう.
投稿者: 由
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