バランって,知ってる?
これは誰もが見たことがあるけど,誰もが名前を知らないものの一つじゃないだろうか。
私は「弁当に入っている 緑色」で検索して,その名前をつきとめた。
「正式名称アーカイブス」というおもしろいHPがあって,
そこでも「お弁当に入っている緑色のギザギザ」と,とりあえず呼ばれている。
そうだよね,「お弁当に入っている緑色のギザギザ」。
半世紀近く生きてきて,今日まで,その名前を知らなかった。て言うか,全く知ろうとしなかったけど,ちゃんと名前があるのも驚きだ。
バラン。
これほど,日本の生活に溶け込んでいて,なおかつ無名を良しとしている存在が他にあるだろうか。植物の葉の代わりの彩りという意味が分かりやすい上に,露骨な緑色とギザギザとペラペラさで,あまりにも存在感が軽い。誰からも,不思議と思われず,必要不可欠ともされず,尊敬もされず,食後にはゴミ箱で暮らしている。まるで,宮沢賢治が理想としたような,人々の日常をつつましく応援する幻のような存在。
私はなにしろ,これが気にいっている。これこそ文明の原初的形態であって,いつからあるのか知らないが,この21世紀になっても堂々と弁当の中に,当然のように入っている素晴らしい非合理性。アンディー・ウォーホルが気がついていたら,大いに絶賛しただろう。その形態の不変さからみても,これは類稀なポップアートだ。
これが弁当の中に入っているうちは,日本は大丈夫。
誰もが,こんなものが必要なのかと少し首をひねりつつ,その存在を受け入れ,工場で働いている人たちのことをちらっと思う。社会とはどういうものかということを,バランは実によく語っている。ゴミ箱の中にこそ,私たちの感情の歴史が積もっている。
こいつが無駄だというようでは,社会はお先真っ暗だ。
合理性やエコという近代化によって,この「お弁当に入っている緑色のギザギザ」が絶滅しないで欲しいものだ。
前ブログでのコメント
返信削除投稿者:ババン2010/3/19 10:16
弁当に入っている仕切りのギザギザって、もとはこの植物の葉っぱを使っていたんですよね~。
ハラン
http://www.fb.u-tokai.ac.jp/cgi-bin/picout?plant=352.gif