有明海漁民・市民ネットワークの抗議声明は,以下のように続いている.
「数多くの魚介類の産卵・揺籃場であり、水質浄化機能にも富む現潮受け堤防の内側にかつて漁業権を有していて、本事業のためにその権利を放棄せざるを得なくなった8漁協の組合員数は、実に953名にも達するが、今となっては、この数だけが旧諌早干潟の生産性の高さを推測させてくれるだけである。既に在りし日の諌早干潟の面影はなく、それに代わって出現したのは、わずか数十軒の営農者のために整備された広大な農地と、当局が「新たな淡水生態系」と呼ぶ調整池である。」
全文:http://blog.goo.ne.jp/gyomin-net/e/6879bd990328600a58b3df355ea17af6
韓国のセマングム干拓でも正に同じことが起こっているが,漁業という生業・産業形態が社会・経済構造の中で,どのような位置を占め,どのような利点を持っているかが理解されていないから,こうした現象が起きるわけである.
豊かな海があれば,多くの正業漁業者を養うことができるだけでなく,副業やおかずを得るレベルまでの,非常に多くの人へのサービスが提供される.そしてその,産業形態・就業形態・利用形態の自由度の高さが,海という職場の大きなメリットなのだ.
こうしたことがなかなか理解されないのは,個人や家族経営の漁業そのものが,様々な意味で軽視されているからに他ならない.
大企業・公共事業・株式・統計・大規模農営・食料自給率,社会をマスプロセスだけで考えること自体が,人間の生活や存在を見えなくしている.
海は非常に豊かな野生の畑である.荒らしたり,汚したりしないように気をつけていけば,とても豊かな実りが人間にもたらされる.
この豊かな畑をつぶして,別の畑を作る必要が,どこにあったのだろうか.
そして,誰が幸せになったのだろうか.
1年やそこらの年収分の保証金で,海を手放すように彼らは言う.
スーツケースには,山のような銭.
それは私たちが,工場や海や畑で稼いだお金.
海を埋めるのは,土ではなくて金.
「足りなければいくらでもありますよ,私の金ではないので」
投稿者: 由
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